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2012.01.31
会員A(福祉)東日本大震災に寄せて―2−
昨年12月16日〜2泊3日で宮城県へ行って来ました。
仙台市内の障害者自立生活センター「CILたすけっと」、仙台空港周辺、宮城県南部亘理郡山元町沿岸部、山元町仮設住宅。
仙台市内から仙台空港へ向かい、東北自動車道を越えて海側へ出たら、景色は一変しました。人々の財産や生活の礎だったものが「がれき」といわれ、その山があちこちにあり、痛々しくことばがありません。多くの人の力で更地のようになった住宅地。道から1メートルほどあがって建つまだ新しい家が、一階は柱のみ、二階は生活ができるようで、でも窓からカーテンが家の外へなびいている。なんとも言えない光景。見渡す限りの原。所々に松の木が残り、そこは、ほこらや墓地があり、人の生活が確かにあったことを見せていました。そして、墓地で整理をしている人も一人ふたりとおられました。車で通り過ぎる私たちを見て、見物に来たのかなと思っておられるかもしれないと。来てはいけなかったのかと、胸が痛くなりました。車から降り、黙祷しました。が、目の下の地面は、粉々のガラスが一面あり、車いすのタイヤがパンクしたら、、、と。動けませんでした。
山元町沿岸部で、社会福祉法人が障害者の就労支援でピザのお店を開いていましたが、海から1〜2キロの場所。電柱より高い裏山へ逃げ、そこで一晩明かしたとのこと。石窯の丸い跡を残すのみで、跡形もありませんでした。まわりは漁師の人たちの立派な日本家屋がたくさんあったとのこと。大きな庭石を残すのみでした。
山元町の仮設住宅へも行きましたが、冬の寒さ対策のための工事がすすめられていました。125戸のセンター的な役割をする建物には、バリアフリーの浴室・トイレなど設備されてあり、食事などにも集まってきて、顔の見える日常を過ごせるようになっていました。高台を整地して立てられた仮設住宅への道路は、まだ地震で崩れたり、穴が空いていて、危険との隣り合わせであり、整地された道は遠回りの道でした。
このような震災から、安心して安全な「まちづくり」や「家造り」を一から進めなければならないことが明らかですが、あるべきかたちが見えているような気がします。
一日も早く、「人」が生きる「住まい」が、そして「くらし」ができるよう、今までにも進められてきた「人にやさしいまちづくり」が、進みますように。
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